片山哲関連エントリー

今さらですが

... 戦後初の衆参総選挙で第一党に躍進した結果、社会党、民主党、国民協同党の連立による日本で最初の社会主義政権たる片山哲内閣が成立した訳ですが、著者によれば、戦後的な意味における「革新」を呼号するこの政権が社会党右派主導政権であった点が重要とさ ...

今さらですが

1103.私は貝になりたい(2)

... 父の友人片山哲やトルストイの親族等が助命に奔走。ついに哲太郎の妹が、マッカーサー元帥に直訴。その結果再審となり禁固30年に減刑された。「私は貝になりたい」の遺書など、戦犯死刑囚の心情をドキュメント風に書いて獄中から投稿したのは ...

1103.私は貝になりたい(2)

日本人の選択―総選挙の戦後史

... 途中では社会党の片山哲が選ばれたりしたが、ここでは吉田茂が本書では多く扱われていた。当時の政策は敗戦処理であったが、「戦犯補償」に関して社会党は救済を訴えたのもこの時期である。 ...

日本人の選択―総選挙の戦後史

麻生さん、ここらで!

... 片山哲、鳩山一郎、大平正芳など。吉田茂(麻生さんの祖父)は死後に洗礼をうけ(生前は政治的理由で洗礼を受けれず)、長男以外は家族みんなクリスチャンですね。 やっぱり、特別な何かがあるのでしょうか。

麻生さん、ここらで!

脚下照顧

... 野党にも言質(ゲンチ)をゲンシチと読む人がいそうだ◆かつては片山哲・元総理の名前を堂々とオリグチと読む議員もいた。これはギャグか◆ひやかす気はない。自戒を込めて言えばこれらは世代に応じた国語教育と学習に帰着するだろう。 ...

脚下照顧

片山哲とは?

片山 哲 (かたやま てつ)
1887年(明治20年)7月28日
和歌山県田辺市
東京帝国大学法学部
神奈川県藤沢市名誉市民弁護士
法律相談所弁護士社会民衆党書記長衆議院議員日本社会党書記長日本社会党委員長
世襲ではない
1947年(昭和22年)5月24日 1948年(昭和23年)3月10日
神奈川2区
衆12回
日本社会党}}
片山 哲(かたやま てつ、明治20年(1887年)7月28日 - 昭和53年(1978年)5月30日)は日本の男性政治家で、第46代内閣総理大臣。
和歌山県田辺市に生まれる。一家で同郷の人物で「軍艦行進曲」の作詞者鳥山啓宅に寄宿ののち、東京帝国大学法学部独法科卒業後YMCA寄宿舎の一室を借りて「簡易法律相談所」を開設、弁護士として活躍。社会民衆党の結成に参加し、1930年に神奈川2区から衆議院議員に初当選。以後、当選12回を数えた。しかし、首相経験者ながら、落選を2度も経験している。無産政党の運動の流れとしては所謂「社民系」として活動し、安部磯雄・西尾末広らと共に斎藤隆夫の除名に反対するなどした。

片山哲の詳細